【電気通信大学】量子物理学とAI分野の融合を目指す
電気通信大学 曽我部研究室
曽我部研究室
専門:量子技術/人工知能/エネルギーデバイス
量子物理学分野とAI分野を掛け合わせる
電気通信大学i-パワードエネルギー・システム研究センターの曽我部研究室では、AI(人工知能)を活用した量子回路の設計や量子強化学習など、量子物理学分野とAI分野の融合を目指した基礎研究を行っている。さらに、AIを用いた社会インフラシステムの最適化、透明型太陽電池の開発などの社会実装を意識した実践的な研究にも取り組んでいる。
「物理学研究の本質は実存の問題にあります。理論を構築し、実験・検証を繰り返し行うことで、世界の在り方や自然現象を解き明かすことです。私はもともと物理学を専門に研究を行っていましたが、実験だけではすべてを明らかにすることは難しいのではないかと考えるようになりました。素粒子などの小さな領域に研究範囲を深めていくと検証することが困難になっていくのです。今日の物理学の前に立ちはだかる壁ですね。そのため、これまでとは異なる研究分野に取り組むことで、突破口を探ろうと考えました。そこで注目したのがAI分野でした」
そう語るのは、曽我部東馬准教授。物理学研究の限界を感じたことをきっかけに、AI分野の研究に取り組み始めたのはおよそ15年前。今でこそ量子とAIを掛け合わせる研究が日本でも世界でも行われているが、AI研究に積極的に取り組む物理学者という存在は当時まだまだ珍しかったという。
「当時は量子力学とAIは異なる分野だというのが一般的でしたが、将来的に2つの研究を融合させることは必要になるだろうと感じていました。AIに関する書籍の執筆なども精力的に行い、AI研究に一区切りついた2017年ごろ、いよいよ量子物理学との融合を図ろうと考えました。海外では量子コンピュータの研究が進んでいたので、もう少しニッチな分野を攻めていく必要があるだろうと思い、量子回路に着目しました。研究者ですから、誰もやっていないような新しいことに挑戦したいと思ったのです。ナンバー2では面白くないですよね」
一般的なコンピュータでは0と1の配列を順番に処理していくことで情報データを取り扱っている。一方、量子コンピュータでは0と1を重ね合わせた状態(量子ビット)で取り扱うことができるため、0と1を同時に計算することで圧倒的な情報処理速度を実現している。そして、この量子ビットに操作を加えるものを量子ゲートと言い、量子ゲートの組み合わせによりアルゴリズムを記述するものを量子回路と言う。要するに、量子回路は量子ゲートの組み合わせによって、量子ビットの情報を変更・操作し、情報処理を行う仕組みだ。曽我部准教授は、量子回路の設計にAI分野である強化学習を活用することで、独自の研究分野を開拓した。強化学習とは機械学習の一種。システム自体が試行錯誤を繰り返して最適解を導き出していくAI技術だ。代表例としては囲碁AIや将棋AIなどがある。
「強化学習を用いたシミュレーションなどで量子回路の設計・最適化を行うとともに、開発手法の性能を評価する研究に挑戦しています。量子回路の設計は量子コンピュータ開発の最大の難所とも言われており、我々の研究が成果をあげることができれば、量子コンピュータの開発にも大きく貢献することができると考えています。量子回路の制御や量子強化学習は研究室の看板研究にもなっています」
企業との共同プロジェクトなども始まっており、これからは社会実装を意識しながら研究を進めていくという。社会インフラシステムの最適化や透明型太陽電池の開発にAIを活用するなど、カーボンニュートラル社会の実現に向けた取り組みも曽我部研究室の大きな強みだ。また、量子力学分野を社会実装に応用することができれば、予測に関する難しい課題まで解決できるかもしれないというから面白い。
「予測の例としては、天気予報がわかりやすいと思います。天気予報は世界気象機関(WMO)を中心に、世界中の気象機関で連携して行われていますが、それでも現状の精度です。おおよそ予報は当たりますが、外れることも多いですよね。また、株価などの金融に関する予測も世界中で躍起になって取り組んでいますが、完璧に予測するのは難しい。従来型の仕組みでは、これらの課題を解決することはできないのだと思います。個人的な見解ですが、世の中にある多くの解決困難な課題には、量子力学分野の問題が含まれているのではないかと感じています。これからは量子力学分野の研究を通して課題解決の可能性を探ることが大切になってくるでしょう」
高次元の情報を簡略化して人間に伝えるのがデータサイエンス
「量子力学の研究が一般の人たちにもわかるように社会で展開される日が来るのはもう少し未来の話になるかもしれませんが、データサイエンスなど情報学分野への期待の高まりは多くの人が実感していると思います。個人的には、ようやくきたかと感じています。データサイエンスやそのほかの情報技術を追求するのは、人間が便利さを追い求める生き物だからですよね。脳内にチップを埋め込んで人間の脳とコンピュータを直接接続してしまおうとするイーロン・マスクのニューラリンクなども話題ですが、便利さを求め、さらに高次元にいきたいというのが人間の願望なのだと思います。最終的には、この世界のすべてを把握して、神様の領域に少しでも近づきたいのかもしれません」
直線で表現可能な1次元の世界、x軸とy軸で理解できる2次元の世界、2次元にz軸を追加して奥行きをつくれば3次元の世界になる。そして、そこに時間の概念を足せば4次元だ。しかし、量子力学分野の学問を突き詰めるとこの世界を構成する次元というものは、さらに増えていくらしい。人間が直感的に理解できる次元というものは本当に限られた範囲に過ぎないのだ。データサイエンスの本質は、人間が認識不可能な領域を可視化できることだと曽我部准教授は語る。
「健康診断を例に考えてみましょう。人間の健康状態を調べるために、身長、体重、血圧、血液、尿、肝臓、心臓……などさまざまな項目の検査をします。ドクターはこれらの項目にプラスして、年齢や持病、アレルギーなどそのほか多くのデータを参考に、知識や経験、推論などを総動員して診断を行うわけですが、データの世界で見ればものすごい高次元で大変ですよね。今考えただけでも、10以上の項目(次元)があります。しかし、データサイエンスを使えば、データを分析しクラスタリングを行い、診断してくれます。各項目のデータの値を用いれば、データ空間上にその人の健康を示す値の位置を特定できるわけです。データサイエンスで前処理を行い、その結果をドクターに渡してから診断してもらった方が、診断の精度も向上するはず。今後、さまざまな分野でデータサイエンスの知見が必要になってくるでしょう」
ものごとを高次元・多次元で解釈し、人間にも理解可能な形で表現してくれるのがデータサイエンス。曽我部准教授の専門である量子物理学の分野も人間が認識することのできない次元の領域を追究する学問だ。そして、それはあらゆる課題解決に役立てられるのではないかというのが曽我部准教授の展望なのだ。
研究の本質は次世代にバトンを渡していくこと
「研究室では、私が教育者として学生を指導するという体制はとっていません。もちろん、学生の質問に答えたり、研究に必要な知識を教えたりはしますが、あくまで同じ研究に取り組むメンバーとしての関係を大切にしています。重要なのは環境です。適切な環境を用意すれば、学生は独力で研究を行っていきますので、私はそれをサポートしてあげるだけです」
学生は共に研究するメンバー。曽我部准教授が研究員として所属していた海外の研究所や大学では、どんなに偉い先生でもファーストネームで呼ばれていたという。そして、そのような環境が研究には重要だと話す。
「ドイツやイギリスでは、学部1年生でも、大学の教授を下の名前で呼んでいました。最初は衝撃的でしたが、次第に慣れて、フラットな関係が心地よくなりました。そのような関係を構築することができて初めて、心をオープンにして率直な議論ができるようになると思います。研究は魂の継承です。私も多くの研究者が試行錯誤した研究のバトンを受け継いで、成果をあげることができています。学生の皆さんにも私の研究を土台に、まだ世界にはない未知の研究を生み出してほしいと思います」
プロフィール
曽我部東馬 准教授
電気通信大学
i-パワードエネルギー・システム研究センター
基盤理工学専攻(兼)
理学博士(物理学専攻)。マックス・プランク研究所(独)博士研究員、ケンブリッジ大学(英)研究員を経て、2009年帰国。(株)グリッドの設立に携わり取締役最高技術責任者を務める。2011年より東京大学先端科学技術研究センター特任助教、特任准教授を歴任、2016年より電気通信大学准教授。
詳細はこちら
曽我部研究室
電気通信大学教員ページ
Text by 仲里陽平(minimal)/Illustration by カヤヒロヤ