【公立はこだて未来大学】海洋環境を見える化する「マリンIT」の取り組みとは?
公立はこだて未来大学
マリンIT・ラボ
システム情報科学部情報アーキテクチャ学科
マリンIT・ラボ 所長
専門:マリンIT/スマート水産業/IoT
日本の漁業は地球温暖化による海洋環境の変化や漁獲量の減少、船の燃料費高騰、後継者不足などさまざまな課題に直面している。そのような課題に対処するため、データサイエンスを駆使して、海洋環境や水産資源を「見える化」するプロジェクト「マリンIT」に取り組んでいる、公立はこだて未来大学の和田教授に話を聞いた。
漁獲量の減少と海洋環境の変化
日本の漁獲量は、1980年代をピークに減少傾向が続いており、この30年間でおよそ3分の1にまで落ちている。主な原因として「地球温暖化」による海洋環境の変化や「魚の取りすぎ(乱獲)」が理由に挙げられ、このままでは海から魚の姿が消えてしまうかもしれないという。そんな課題を未然に解決するため、公立はこだて未来大学システム情報科学部の和田雅昭教授は、データサイエンスを駆使して海洋環境や水産資源を「見える化」するプロジェクト「マリンIT」に取り組んでいる。
和田教授は、大学卒業後、世界シェア7割を誇る全自動イカ釣機を開発している株式会社東和電機製作所に就職。漁師さんの仕事や身体の負担を軽減するため、新型のイカ釣機の開発を手がけたり、イカ釣機のオプション製品「魚探連動ユニット」を開発したりしていた。大学時代の研究で漁師さんが働く過酷な現場を目の当たりにしたことがきっかけだったという。
「システム不具合の対処に奔走したり、漁船に乗ってプログラミングをしたりと大変なことも多くありましたが、楽しかったですね。漁師さんと交流するなかで、情報技術によって仕事を楽にしてあげられている実感もありました。しかし、ある出来事をきっかけにそれだけでは不十分だと感じるようになりました。全自動ホタテ耳吊機を開発・導入していた際に、ホタテの大量死という前代未聞の経験をしたのです。もちろん、機械の不具合なども考えましたが、それだけでは説明のつかない現象でした。1990年代半ばである当時はまだまだ地球温暖化という言葉は一般的ではありませんでしたが、海洋環境が変化しているように思えてならなかった。その原因を明らかにしない限りは根本的な問題は解決できないのではないかという危機感を抱いたのです」
機械を開発して漁師さんの負担を軽減する。しかし、魚がいなくなってしまったら、その機械をつくっても役に立たない。そこで、和田教授は海洋環境を「見える化」し漁業関係者でデータを共有することによって、持続可能な水産業体制を構築することが不可欠だと考えた。工学的な「モノづくり」も大切だが、情報・データサイエンスを用いた「海洋環境の把握」はさらに重要ではないかと思い至ったのだ。
「民間企業で海洋観測などのデータ収集の取り組みを行うのは容易でありません。環境や水産業の未来のために必要だとしても、当時は、まだまだビジネス性を見出すことができていなかったため、取り組むにしても単なる投資でしかありませんでした。つまり、データ収集をしたところでそれが利益につながるのかわからないということですね。個人的には投資だとしてもやるべきだと思い、社長に直訴したのですが、やはり難しかった。そのため、水産業の未来のために基礎研究に取り組んでみようと、大学に活動の場所を移したのです」
「マリンIT」の誕生
公立はこだて未来大学に着任した和田教授は、はこだて未来大学の先生や水産試験場の研究員、懇意にしていた東京農業大学の先生と協働して、海水温データを収集するための「ユビキタスブイ」や漁獲量などを記録する「デジタル操業日誌」、船舶の位置データを共有し航路などを表示する「marine PLOTTER」というアプリなどを開発し、函館など北海道の港で社会実装を進めていった。この一連の取り組みが「マリンIT」だ。
「ユビキタスブイで海水温の時系列データを調べたり、デジタル操業日誌で各々の漁船が漁獲した水産資源の情報を共有したりして、それらを用いて水産試験場で分析を行ってもらう。そして、その結果を漁業関係者に戻して、現在の海洋環境や水産資源がどのような状況になっているかを把握できる仕組みを構築しました。水産試験場と漁業関係者とのやり取りは昔からあったのですが、水産試験場に大規模なデータ収集を行うためのシステムがなかったり、詳細な報告書を作成してしまうために漁師さんに伝わりにくかったりするという側面があり、データ活用がスムーズに行えている状況ではなかったのです。そのため、マリンITの観測機器やアプリを提供することで、データを収集したりわかりやすいデザインにしたりするなど、水産試験場と漁業関係者の関係を上手く循環するようにしました」
マリンITが成果を収めることができたのは、情報システムの裏側を構築するシステム屋さん、ユーザーが使いやすいインタフェースを構築するデザイン屋さん、生物的なデータ分析を行うことができる分析屋さんが揃っていたからだと和田教授は語る。
「何かが欠けている場合が多いんですよね。裏側のシステム構築ができても、デザインの知見が不足していたり、それらがあっても分析のところで協力者がいなかったりします。そういう意味では、マリンITは幸運だったのだと思います。私自身は情報システムコースですが、はこだて未来大学には情報デザインコースがあったり、水産試験場がマリンITの取り組みに参加してくれたりするので、プロジェクトを進めるには申し分のない環境だったと思います」
「マリンIT」の近年の取り組み、そして「スマート水産業」
「近年は、DXに取り組むことを考えている全国の生産者(漁業者)から依頼が来るようになっています。依頼を受けましたら、情報デザインコースの先生と一緒に現場見学に向かい、実際の作業や普段データを記入しているノートなどをもとにヒアリングを行います。『この数値は何を表しているのですか?』『これは毎日行う作業ですか?』などといった具合です。そして、全く異なるシステムに移行してしまってはギャップが大きすぎるので、これまで生産者が使用してきたものに近いデザインで、在庫管理などを行なっていけるようなデジタル操業日誌を提案していきます」
上図は島根県海士町の事例。養殖イワガキの筏(いかだ)の実際の並びをそのままデジタル操業日誌に反映して、直感的に在庫管理しやすいようにしたものだ。ユーザーが使いやすいようにするため、事例ごとに異なるデザインを提案していくが、裏側のシステムの8割ほどは共通化できているという。
「最終的にデジタル操業日誌として導入することにならなくても、ヒアリング段階におけるワークフローの整理で喜ばれることも多いです。生産者にとって当たり前の作業でも改めて考えてみると慣習になっているだけで、より良い方法に改善できたりします。水産業は技術継承も喫緊の課題。新しく入ってきた若手がスムーズに日々の業務を行うことができるようにワークフローを可視化することは重要です。昨年まで、ODA(政府開発援助)のインドネシアにおけるプロジェクトにも参加していましたが、水産業のDX(デジタルトランスフォーメーション)は日本でもインドネシアでも大きな違いはありません。ヒアリングを行い、情報をわかりやすくデザインしてあげることが大切です」
収集したデータの利活用は、漁業協同組合の方針に合わせて運用している状況。システムやサーバーの運用を大学の立場でボランティアとして20年先まで続けていくことは難しい。そのため、今後は「スマート水産業」の一環として水産庁が進めている公的なプラットフォームにデータ移行していくことになるだろうと和田教授は言う。スマート水産業では、漁場予測による操業効率化やベテラン漁師の航路を可視化することによる技術継承なども期待されている。
「データを活用した予測やシミュレーションにも取り組んでいますが、まだまだビジネス活用までのクオリティには達していないのが実情です。例えば、明日この魚が多く獲れると予測します。しかし、魚を買う流通業者や水産加工業者はその予測が8割程度しか当たらないのであれば、ビジネスに活用していくのは難しいと言います。現在は、生産者が漁場を決めたり、流通業者が仕入れを判断したりするときの材料の1つにしてもらうのが限界です。これからのデータの蓄積や情報技術の発展に期待ですね」
環境変化や消費者の価値観の変化に合わせて、GX(グリーントランスフォーメーション)の取り組みが重要になる
和田教授の「マリンIT」における取り組みは、スマート水産業の黎明期に始まったプロジェクトであるため、誰よりも膨大なデータ蓄積があることが強みだ。そして、これからはデータを駆使したGXの取り組みが重要になってくるという。
「最近では、蓄積されたデータから環境負荷を数値化することも可能になってきています。例えば、漁獲量と燃油使用量のデータから1キロの魚を獲るためにどれだけの燃油を使用したのかを定量的に表したりすることができます。これらはGXを目指すにあたりどこから取り組みを始めるかの指標になると思いますし、燃料費高騰への対策や操業の効率化にも寄与するはずです」
「フランスにおいては、2021年からEco-Scoreという食品の環境負荷レベルを表したシールを商品に添付する取り組みが始まっており、環境に配慮した消費のあり方が注目されています。これはエシカル消費とも言われ、このような価値観の変化が産業のあり方にも影響してくることは大いにあると考えています。環境に配慮して獲った魚と燃油をたくさん使用して獲った魚のどちらを買いたいですか?と問われたら、答えは決まっていますよね」
機械を開発して漁師さんの負担を軽減しても、そもそも魚がいなくなってしまったら、その機械をつくっても役に立たないではないかという問題意識から「マリンIT」の取り組みを始めた和田教授。GXへと行き着くのは、一貫した問題意識によるものだ。また、和田教授の研究室においても、環境に配慮した研究テーマを選ぶ学生が増えてきているという。
「研究室の学生が取り組む研究テーマとしては、漁法別の環境負荷を調査するものや衛星リモートセンシングを用いたデータ観測、データを駆使した漁師さんの技術継承などがあります。我々の研究室では卒業研究で取り組むテーマの現場を実際に見学に行くことを推奨しており、この課題を解決したらどんな人が喜んでくれるのかを実感する機会を提供するようにしています。マリンITの現場にも通年学習や卒業研究のテーマとして学生が参加することも可能です。研究室配属は4年生からですが、1、2年生で見学に来る学生もいますよ」
高校も大学も学びの場。しかし、高校が学習の場であるのに対して、大学では学修の姿勢が求められると和田教授は語る。
「学修とは主体的な学びのこと。『何のために学ぶのか』という目的意識を持つことが大切です。簡単に言うと、好奇心です。ぜひ、日常的に問題意識を持ち、自分自身の好奇心の種を探してみてください。そのなかで、マリンITの取り組みやスマート水産業に興味を持ちましたら、ぜひ私たちの研究室やマリンITの現場に遊びにきてください!」
プロフィール
和田 雅昭
公立はこだて未来大学 システム情報科学部 教授
マリンIT・ラボ 所長
1971年、静岡県焼津市生まれ。宮城県仙台市で育つ。北海道大学大学院水産科学研究科修了、博士(水産科学)。東和電機製作所を経て、2005年、公立はこだて未来大学に着任。2012年より現職。地方創生に資する「地域情報化大賞2015」表彰(総務省主催)において、マリンIT・ラボが取り組む「IT漁業による地方創生」が大賞/総務大臣賞を受賞。
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和田雅昭教授
Text by 仲里陽平(minimal)/Illustration by 竹田匡志