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【横浜市立大学】「転写因子」で細胞の過去・現在・未来を解き明かす 【横浜市立大学】「転写因子」で細胞の過去・現在・未来を解き明かす

【横浜市立大学】「転写因子」で細胞の過去・現在・未来を解き明かす

横浜市立大学大学院 免疫学教室

田村 智彦 教授
田村 智彦 教授
TAMURA Tomohiko
横浜市立大学大学院医学研究科
免疫学教室
専門:免疫学

AI・データサイエンス系大学・学部の研究室では、どのような研究が行われている? 「バイオインフォマティクス」という言葉がある。これは「バイオロジー」と「インフォマティクス」を融合した研究領域のこと。横浜市立大学大学院医学研究科の田村智彦教授は、バイオインフォマティクスを駆使して、免疫細胞の分化や応答のメカニズム解明に挑んでいる。

細胞の種類によって遺伝子の発現パターンは異なる

新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化していた頃、「免疫細胞」や「mRNA(メッセンジャーRNA)」という単語がメディアで盛んに取り上げられた。「生物学」の教科書を改めて開いて、細胞の仕組みを確認した人も多いのではないだろうか。そんな医療の分野でもデータサイエンスの知見は大いに役立っている。

横浜市立大学大学院医学研究科免疫学教室の田村智彦教授の研究対象は「免疫細胞」。データサイエンスの手法を駆使して、その発生や分化の謎に迫っているという。

田村智彦教授とラミロフスキー ジョーダン准教授
取材に対応してくれた免疫学教室の田村智彦教授と先端医科学研究センターのラミロフスキー ジョーダン准教授

「細胞のアイデンティティを規定している転写因子が、免疫細胞の分化や応答において果たす役割について研究しています。ヒトの身体の中には、270種類の細胞があるといわれています。細かく分けると実際はその何十、何百倍以上もあります。不思議なことに同一個体の中にあるそれらの細胞は、一部の例外を除いて、すべて同じ約30億塩基対のゲノム配列を持っています。ではなぜ形状や機能が違うさまざまな細胞が存在するのか? それはゲノムの中に存在する約2万3000個(※)の遺伝子の発現パターンが細胞の種類によって異なるからです。ではこのパターンを決めるのは何か? それが転写因子なんです」
※タンパク質をコードしていないRNAも含めれば10万個以上になる。

細胞の種類によって遺伝子の発現パターンは異なる

免疫細胞の分化を制御する転写因子「IRF8」

「転写」と聞いて、DNAとRNAの関係を思い浮かべた人も多いだろう。DNAとは生命活動の維持に必要なさまざまなタンパク質を合成するための設計図と考えていい。これが同じ個体のあらゆる細胞に等しく格納されている。このDNAの遺伝情報は、mRNAに転写され、リボソームと呼ばれる細胞小器官に運ばれて、そこでタンパク質が合成される。転写因子とは、ここでDNAのコードをmRNAにコピーする際になんらかの役割を担うタンパク質。この転写因子によって、免疫細胞の分化が制御されているのだという。

転写因子

免疫細胞とひと口に言っても種類は実に多様だ。もともとは骨髄の造血幹細胞から分化して、赤血球、血小板、B細胞、T細胞など、さまざまな細胞として役割を担っていく。これらの細胞の名前を聞いたことがある人も多いだろう。
造血幹細胞は、大きくミエロイド系(骨髄系)前駆細胞とリンパ球系前駆細胞に分かれる。田村教授の研究対象は、前者のミエロイド系前駆細胞だ。

造血幹細胞
造血幹細胞から産生されるさまざまな免疫細胞

「ミエロイド系前駆細胞は、樹状細胞、単球、好中球といった細胞に分化していきます。私は、この分化を制御しているIRF8(アイアールエフエイト)と呼ばれる転写因子について、研究しています。このIRF8が細胞分化を調節していることを世界で初めて見出したのは、2000年に発表した私の論文でした。その当時は、博士研究員としてアメリカ国立衛生研究所(以下、NIH)に勤務していました。それから20年以上、IRF8の研究を続けていることになります」

転写因子と結合し遺伝子発現の布石を打つ「エンハンサー」

さらに田村教授は研究を進め、IRF8は樹状細胞や単球に分化する前のミエロイド系前駆細胞の段階で、DNAのゲノムのうち遺伝子発現を制御する「エンハンサー」と呼ばれる複数の部位と結合し、活性化させることで、将来その遺伝子を発現するための「布石」を打つことも明らかにした。「エンハンス(enhance)」とは、英語で「増進する」という意を表し、まさに特定の遺伝子発現を増進する部位にあたる。つまり、IRF8のような転写因子は、樹状細胞や単球に分化するための遺伝子の発現によって、細胞の形状や機能が変わるずっと前に、その運命を決定する役割を担っているのだという。

エンハンサー

「簡単に言うとIRF8のような転写因子が、免疫細胞が分化していく過程で何をしているのかを詳しく調べているわけです。例えば、IRF8は樹状細胞や単球の分化には必須ですが、好中球の分化は抑制することがわかっています。こうした基礎研究から、最近では種々の疾患において病態形成の鍵となっている細胞のアイデンティティを規定する転写因子を同定して、疾患の治療法開発に役立てる研究も行っています。注目する細胞で、エンハンサーの分布を調べ、その細胞のみで活性化しているエンハンサーのゲノム配列をバイオインフォマティクス解析すると必ずそこに結合している転写因子がわかります。エンハンサーと転写因子を調べることで、その細胞の『過去・現在・未来』が明らかになるのです」

ミエロイド(骨髄)系前駆細胞

医学研究に不可欠な「バイオインフォマティクス」

同じゲノム配列の「エンハンサー」領域と細胞のアイデンティティを司る「転写因子」を突き止めれば、その細胞の「過去・現在・未来」がわかる——まるで映画のようなフレーズである。

繰り返しになるが、転写因子とは、DNAの遺伝情報をRNAに転写する際に何らかの制御を担うタンパク質のこと。ヒトにおいては、1,500種類以上あると言われている。この転写因子を同定すること、さらに転写因子が結合するエンハンサー領域を発見することにおいて、データサイエンスの手法が大いに役立っている。それが、田村教授のコメントにあった「バイオインフォマティクス」の手法だ。

バイオインフォマティクス

バイオインフォマティクス(bioinformatics)とは、生物学(biology)と情報学(informatics)の融合領域のこと。DNAやRNA、タンパク質をはじめとする生物が持つさまざまな「情報」をコンピュータで解析し、生命現象の理解や病気のメカニズム解明、治療薬の開発などに役立てることを目的としている。

「このような研究において、バイオインフォマティクスは欠かせません。例えば、活性化したエンハンサー領域を調べるには、ゲノム配列を超高速で解読できる『次世代シーケンサー(※)』による解析が必須です。ここで生み出されるデータ量は膨大で、私が20年前にNIHで使っていたシーケンサーと比べて、数百万倍の性能を持ちます。最近多用している『シングルセルRNA-seq』という手法では、何万個もの細胞の一つ一つで5000個以上の遺伝子発現を同時に計測できます。10種類の細胞集団それぞれ1万細胞でこれを行うと縦5000列×横10万行のExcel表ができあがる計算になります。これをマニュアルで解析できるはずがありません。こうした次世代シーケンサーによって、免疫学教室の研究は成り立っています。医学研究こそデータサイエンスの時代なのです」
※次世代シーケンサー:DNA断片の配列を並列的に極めて短時間で解析する装置。この方法を応用することで、すべての遺伝子の発現量を調べるRNAシーケンスやエンハンサーの状態や転写因子の結合を全ゲノム規模で解析することが可能となった。

分析装置群
横浜市立大学大学院医学研究科免疫学教室の分析装置群

誰がやっても同じというわけでは決してない

田村教授は、バイオインフォマティクスによって、研究アプローチも大きく変わったと語る。これまでの生物学系の研究では、研究者が「こうかもしれない」と思った仮説をリアル(Wetと表現する)な実験で検証する手法が主流だった。しかし、次世代シーケンサーや質量分析、そしてバイオインフォマティクスによって、DNAやタンパク質の「すべてを計測」できるようになると、その計測データから仮説を導き出し、それを実験で検証するという手法が可能になる。

今後はこの領域に機械学習AI(人工知能)の技術が入り込んで来るのは間違いない。しかし、すべての生体情報が網羅的に計測されてしまうと研究者同士の個人差がなくなってしまうのではないだろうか?

「生体情報を深く計測したからといって、バイオインフォマティクスで自動的に仮説が生まれるかというと、まだまだそうではないのが面白いところです。統計的な指標のみから、膨大なデータのどこに注目すべきかスパッと判断できれば気持ちいいでしょう。しかし、実際にはそれだけでは結論が出ないケースが大半です。逆に、そこに各研究者“ならでは”の切り口が反映されます。そもそも何を計測するか方針を決めるところも各研究者のアイデアに依存しますよね。誰がやっても同じというわけでは決してない。そこがこの研究の奥深いところです」

研究の奥深いところ

細胞の運命決定の最初の仕組みを解明する

田村教授が手がける特定のゲノム領域を調べるような研究を「エピゲノム解析」と呼ぶ。「エピ」とは「〜の上」を意味する接頭語なので、「ゲノムの上の解析」となる。例えば、細胞内にある“DNAとタンパク質(ヒストン)の複合体”であるクロマチンを特殊な手法で固定し、調べたい部分を精製して4000万個のDNA断片を次世代シーケンサーで解析することで、ゲノム内の特定の「エンハンサー」を発見するという。こうした「エピゲノム解析」と「遺伝子発現解析」によって、人類は自らの細胞の「過去・現在・未来」を明らかにしていくのだ。

田村教授は、横浜市立大学大学院医学研究科免疫学教室を担当しながら、同学の先端医科学研究センター バイオインフォマティクス解析センターのセンター長も務めている。興味がある人は、下記サイトをチェックしてみよう。
詳細はこちら
横浜市立大学 先端医科学研究センター バイオインフォマティクス解析センター

ラミフロスキー准教授
先端医科学研究センターのラミロフスキー ジョーダン准教授は、バイオインフォマティクスとAI、ディープラーニングを活用した研究を行っている

最後に、田村教授にバイオインフォマティクスによって、実現したい目標を聞いてみた。

「転写因子を治療方法や治療薬開発につなげるのは、一般的には簡単ではありません。しかし、その発現や活性を調節する上流の分子、下流の標的遺伝子産物として実際に細胞の機能を担っている分子は、治療標的に十分なりえます。最近では、核酸医薬と呼ばれる領域で、転写因子そのものの発現を抑制したり、転写因子の機能を直接制御したりする方法も開発されています。こうした手法を用いて、私が担当する免疫学教室では、日本医療研究開発機構(AMED)の研究課題として、全身性エリテマトーデス、膵がんや特発性心筋症の病態解明と治療法開発にも取り組んでいます。今後も転写因子を核とした病態の理解に基づいた新しい治療法をバイオインフォマティクスなどの手法を駆使して開発していきたい。また、基礎研究としても転写因子が遺伝子発現を調節する分子機構をさらに研究していくつもりです。そして、究極的には、細胞の運命決定の最初の仕組みを解明したいと思っています」

【取材後記】
医師免許がなくても医学研究者になれる

今後、バイオインフォマティクスの技術がますます重要になっていくことは間違いない。しかし、この領域で活躍できる研究者・技術者が日本では極端に少ないという。つまり、今から大学・大学院でバイオインフォマティクスの技術を身につけることは、将来の可能性を大きく広げることになるはずだ。
また、田村教授が担当する「免疫学教室」の特徴として、医師以外の研究者が多いという点が挙げられる。医師免許がなくても未来の医学に向けてゼロから1を生み出す基礎医学研究はもちろん、自ら患者さんを診断治療するような臨床研究を除いて創薬を含む応用開発医学研究に携れることを高校生や大学生はもっと知るべきだろう。「免疫学教室」には、医学部以外出身の大学院生が12名、医学部以外からの学部研究生が4名在籍しているという。
「医学研究に医師免許は必要ありません。遠慮せず、どんどん医学系大学院の研究室を目指してほしいと思います」(田村教授)

研究室の詳細

横浜市立大学大学院医学研究科 免疫学教室

免疫細胞(とくにミエロイド系)の分化・応答の分子機構、がん(固形癌や白血病)、そして自己免疫疾患などについて、転写因子やクロマチン制御による遺伝子発現調節の観点で研究している。次世代シーケンサーを用いたエピゲノム解析、質量分析、機械学習、バイオインフォマティクスなど最先端の手法を用いて、免疫系を超えた細胞分化・応答の「基本原理」を追究。この成果をがんや自己免疫疾患の治療法開発に応用する研究にも取り組んでいる。また、「免疫学教室」のメンバーは、同学の先端医科学研究センターにおいて、文部科学省認定「マルチオミックスによる遺伝子発現制御の先端的医学共同研究拠点」の中核を担っている。
詳細はこちら
横浜市立大学大学院医学研究科免疫学教室

Text by 丸茂健一(minimal)/Illustration by カヤヒロヤ

UNIVERSITY INFO

横浜市立大学大学院医学研究科
YOKOHAMA CITY UNIVERSITY
Graduate School of Medicine
新しい時代の医学・医療を担うグローバルリーダーを育成
横浜市立大学大学院医学研究科
新しい時代の医学・医療を担うグローバルリーダーを育成

バイオインフォマティクスを駆使した先端研究も盛ん

生体や疾病のしくみを個体から細胞、分子の各レベルにおいて明らかにし、生命科学や医学の発展に貢献する創造的研究で世界をリードする医療人材を育成。バイオインフォマティクスなどの最新技術を駆使して、新たな予防・診断・治療法の開発に挑んでいる。

カテゴリ

公立大学

研究科・専攻

大学院医学研究科
■医学研究科/医科学専攻

修了者の主な進路先(平成20~22年度)

修士課程修了者
横浜市立大学医学研究科博士課程/横浜市立大学医学部・附属病院/アイロム(SMO)/カネボウ化粧品(研究職)/大塚製薬(研究職)/ノガミ薬局(薬剤師)
博士課程修了者
横浜市立大学医学部・附属病院(助教・医師)/茅ヶ崎市立病院(医師)/琉球大学医学部(助教)/GPバイオサイエンス(研究職)/東京大学分子生物学研究所(研究職)/明治大学研究・知財戦略機構(研究職)/国立国際医療センター(技官)/Detroit Medical Center,Neurosurgery(医師)

所在地・アクセス

福浦キャンパス・附属病院
〒236-0004 横浜市金沢区福浦3-9
JR「新杉田駅」・京浜急行「金沢八景駅」よりシーサイドライン「市大医学部駅」下車徒歩1分

問い合わせ先

横浜市立大学医学部・大学院医学研究科
TEL : 045-787-2511

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